FILE.9 岡晃貴さん ロービジョンフットサルチーム「Grande Tokyo」キャプテン
30歳で難病と判明しても変わらず前向きに歩み続ける、アスリートの生き様に迫る。

“ちがいを ちからに 変える街。渋谷区”
その渋谷区の中で、障がいがありながらも、
仕事や家庭生活などの様々なステージで、日々真剣に生きている人たちがいる。
「MY LIFE, MY SHIBUYA」は、そんな人々の日常を描き出すノンフィクション。
今回ご登場いただくのはロービジョンフットサルチーム「Grande Tokyo」で
キャプテンを務める岡晃貴さん。
サッカーの強豪校に進学し、大学卒業後は小学校の教員に。
自分の夢を着実に叶える中で、視野が狭まっていく難病だと診断される。
だが、彼は持ち前の明るさで障がいを前向きに捉え、サッカーの日本代表になる夢を、
ロービジョンフットサルというフィールドで実現させた。
今を精一杯に生きる、彼の“自分らしさ”とは。
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「実は、サッカーにはかなりの自信があったんです」

そう話すのは、ロービジョンフットサルチーム「Grande Tokyo」でキャプテンを務める、岡晃貴さん。小学校3年からサッカーを本格的に始め、高校は国内有数の“サッカーどころ”埼玉県内で強豪とされる伊奈学園に進学。1学年に60名、全校で180名が在籍するサッカー部でAチームに所属し、全国大会出場にあと一歩のところまで迫った。もちろん、大学時代も週6日のサッカー漬け。卒業後は小学校教員の職に就いて誠実に仕事を続けながらも、地元の埼玉県鴻巣市で社会人サッカーチームを作り、ボールを蹴る日常は手放さなかった。

時折冗談を交えながらも、真剣な眼差しで話す岡さん。
相手の顔を見て話す時、その人の手足の動きは視界に入りづらいため、
急に握手などを求められると気づけないことがあるそう。

     


ところがある日、“事件”が起きた。

「その日は、都内でフットサルをしていたのですが、サッカー未経験者にボールを奪われたんです。プロを目指していた僕が!?とショックを受けました」

今になって考えると、当時すでに「少し目が見えづらい」と感じることもあった。とはいえ生粋の楽天家の岡さんは病気の可能性を疑うことはなく、病院を受診したのは1年も後のこと。視覚障がいを持つ友人に紹介された病院で、医師から、想像していたよりもはるかに深刻な表情で「難病です」と告げられた。

診断結果は、網膜色素変性症――。網膜内の視細胞の老化によって光を感知できなくなる病気で、次第に視野が狭まっていく進行性の難病だ。進行スピードは人それぞれだが決定的な治療法は確立されておらず、やがて失明に至る恐れもある。

しかし岡さんは、医師の説明を聞いて落胆するどころか、むしろ胸のつかえが取れる爽快感さえ覚えていた。

「思い返せば、机の角に小指をぶつけることが多かったり、渋谷のスクランブル交差点で人とぶつかってしまったり、そういうことは以前からあったんです。高校時代の部活もそう。昼の練習はまったく問題ないのに、なぜかナイターの練習ではいいプレーができなかった」

“夜盲”とも表現される網膜色素変性症は、特に夜になると視界が狭まることで知られている。

「つまり、ちゃんと見えてなかったんですよね。それがわかって、むしろスッキリしました。自分が難病を抱えているという事実よりも、サッカー未経験者にボールを奪われたことのほうがショックだったんですよ。だから、『病気のせいだよね!』と言えることがわかって、逆にホッとしました」

今から4年前。30歳の時のことだった。この瞬間から少しずつ、岡さんの人生が変化し始めた。

サッカーの世界で日の丸を背負う。


取材中も手にはボールが。チームでの練習だけでなく
日々の自主練やスポーツジムで鍛える時間を欠かさない。


病気の判明から2年後、ふとした瞬間に「“せっかく”障がい者になったんだから」との思いが芽生え始めた。

「僕は自分の病気をネガティブに捉えたり、思い悩んだことが一度もないんです。『失明するかもしれない』と考えて怖くなるという経験もない。それよりも、進行性の病気だからこそ、失明する前に治る方法が見つかると考えているくらいで」

“せっかく”だから、障がいというギフトを与えられた自分の人生を、目いっぱい楽しみたい。その思いを友人に伝えると、ロービジョンフットサルという競技を勧められた。

ロービジョンフットサルとは、目の見えるゴールキーパー1名と、弱視者(ロービジョンの人)4名でプレーする5人制フットサルのこと。“見えにくさ”には「B1」「B2」「B3」という3つの段階があり、4名のフィールドプレーヤーは「B2」(矯正後の視力が0.03まで、または視野5度まで)の選手が2人、「B3」(矯正後の視力が0.1まで、または視野20度まで)の選手が2人出場する決まりだ。残念ながらパラリンピック競技ではないが、サッカーは世界最大の競技人口を誇るスポーツだから、活躍の場は世界に広がっている。ちなみに弱視のカテゴリー「B1」は全盲に相当し、サッカー界では「ブラインドサッカー」として確立され、昨今、大きな注目を集めている。

岡さんは「B3」の選手として、32歳になった頃から本格的にロービジョンフットサルをプレーするようになった。ほどなくして日本代表に選出されると、日の丸を背負って戦う日々が始まった。彼がロービジョンフットサルを始めたことで得た、二つの収穫について教えてくれた。

「まずは、同じような障がいを持つ人たちと知り合えたことが本当に大きかった。例えば、障害者年金や障害者手当、障害者手帳など、これから生きていく上で必要なもののことを、彼らが教えてくれたのです。それからもうひとつは、サッカーの世界で日の丸を背負えたこと。子どもの頃からプロになりたくて、でも叶わないから小学校の先生になったけれど、まさかこういう形で夢が叶うとは思ってなかった(笑)」

今年5月、ロービジョンフットサル日本代表はスペインに遠征して「アンダルシア国際フットボール」に出場し、スペイン代表から初勝利を挙げる番狂わせを演じた。その遠征の帰路、たまたま同じ飛行機に乗り合わせたサッカー日本代表の柴崎岳選手に遭遇し、「一緒に頑張りましょう」と声を掛けられて不思議な感覚に陥った。

「自分も柴崎選手と同じ“日本代表”になれたことは、人生を懸けてサッカーを頑張ってきたことに対するギフトのように思います」

サッカーというスポーツに対する感謝の気持ちが、自然と湧いてきた。

自分の知る世界を広げ、子どもたちに伝えたい。


小学校の先生という職業には、27歳の時に一度区切りをつけた。

「子どもたちに教える立場でありながら、自分が知っている世界が小さすぎることに気づいたんです。自分自身に対して『つまらないヤツだな』と思うようになり、それならもっと圧倒的な経験を積んで、また学校に戻ればいいんじゃないかと考えるようになって」

その後、芸能事務所、IT関連企業を渡り歩き、自身が考える“先生に必要な社会人経験”を積むための3つ目の場所として、日用品メーカーの営業職に就いた。商材の販売戦略を各販売店に提案し、「より大きな売り場を確保すること」が最大のミッションだ。この日は担当店舗の1つである「MEGAドン・キホーテ渋谷本店」に足を運んだ。


国内外からお客様が集う総合ディスカウントストア。
たくさんの商品の中でいかに埋もれない見せ方ができるか、
最近の商品の動きをお店のスタッフと共有し、改善策を探る。
     


「今の仕事は人間の習性がわかるという点で、すごく面白いと思います。やっぱり、“パッと見”が大事なんですよね。人は目にしたものの印象次第で行動が変わる。目が届くところ、見えるところに手が伸びる。そういうことがわかり始めると、担当商品の売り方も変わってきますよね。実は僕、こう見えて営業成績はなかなかいいんですよ(笑)」

ロービジョンフットサルの練習は所属するクラブチームの活動が月2回ほどと、日本代表の活動が月1回の合宿。集中してプレーできる時間は限られている。それでもベストなプレーができるよう、仕事の前後いずれかはトレーニングに励む。朝時間があれば、公園かジムでランニングと簡単な筋トレを行い、昼に仕事をこなし、暗くなる夜は、外ではなくジムに通うなどしてコンディション維持に努めている。

障がいに対しても、あくまで前向きに。その姿勢はずっと変わらない。


岡さんの病気は普段見た目ではわからないから、
人にぶつかって怒られることも多い。
「ながら歩きはもちろん危ないけれど、
僕のような障がいを持った人がいる可能性があることを、
少しでも意識してもらえたらうれしい」と話す。
     


「もう、そういう性格だから仕方ないですよね。最近では『障害を生涯楽しもうプロジェクト』を立ち上げて、月に1回、障がい者と障がい者に関わる仕事をしている人たちが交流する場を作りました。また、教職に携わっていたことから、教育カウンセラーとして学校や施設を訪れ、スポーツを通じた『こころの整え方』という講演を行なったこともあります。抵抗があるかもしれないけれど、僕は“障がいを楽しむ”という姿勢を様々な活動を通して、積極的に発信したいと考えています」

自分は障がい者である――。堂々と、胸を張ってそう言える自分らしさを大事にしたい。むしろガハハと笑い飛ばして今を精いっぱい生きることに忙しく、悲観して嘆いている暇なんてない。

「その時の自分にしかできないことってあるじゃないですか。今の僕にできることは、『僕は障がい者です。いつか失明するかもしれません』と明るく話すこと。それを聞いて同じ病気を抱えている人や、他の障がいを持っている人が前向きになってくれるかもしれない。それってすごいことだなと」

こんなことがあった。

「障害を生涯楽しもうプロジェクト」の一環として開催している交流会でのこと。「障害者手帳だって有効活用しなきゃ!」と笑い飛ばしていたら、ある日、それまでずっとうつむきがちだった人が明るい声でこう言った。

「遊園地のアトラクション、障害者手帳を見せたら半額で乗れちゃいました!」

“見えない未来”を想像して下を向いていても仕方がない。前を向いて、“見える今”としっかり向き合う。そうすることで、今まで見えなかった世界が見えてくる――かもしれない。

だから岡さんは、いつもガハハと笑っている。

<プロフィール>
おか・こうき/1985年生まれ、埼玉県出身。埼玉県立伊奈学園総合高等学校でサッカー部に所属。主にフォワードのポジションで成績を残す。大学卒業後、小学校の教員となる。その後、芸能事務所やIT企業に勤め、3社目となる日用品のメーカーでは営業を担当。その間、働きながらフットサルを続けていたが、2015年に網膜色素変性症と診断される。2017年に友人の紹介でロービジョンフットサルに出会い、練習を開始。現在は「Grande Tokyo」のキャプテンとして活動し、今年5月には「アンダルシア国際フットボール」に日本代表として出場するなど、活躍の場を広げている。

(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS, LLC / 文=細江克弥 / 写真=松本昇大)