FILE.16 神前はるかさん 紙芝居師
杖をついて口演する紙芝居師の「後悔がないように生きる」人生とは。

“ちがいを ちからに 変える街。渋谷区”
その渋谷区の中で、障がいがありながらも、
仕事や家庭生活などのさまざまなステージで、日々真剣に生きている人たちがいる。
「MY LIFE, MY SHIBUYA」は、そんな人々の日常を描き出すノンフィクション。
今回ご登場いただくのは、さまざまなジェスチャー、声色、表情を駆使して
紙芝居を口演するプロフェッショナル、紙芝居師の神前はるかさんです。
現在は、紙芝居師の活動だけでなく、声優や講演会への出演、
ゲーム実況の動画配信など幅広く活躍しています。
生まれつきの先天性股関節脱臼に加え、後に変形性股関節症を併発したことで
心に壁ができ、一時は「周りの人たちが全員敵」だと思っていた神前さん。
しかし、専門学校で受けた紙芝居の授業や師匠であるヤムちゃんとの出会いを通じて、
自身の障がいと向き合いながら物事を前向きに捉えるよう思考が変化していきます。
渋谷区とのパラリンピックやパラスポーツの普及活動を通して、
子どもたちに障がいのことを伝えることにも尽力する神前さんに、
現在に至るまでの葛藤や挑戦、得てきたことを伺いました。

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味方なんていない。夢なんてかなわない。一時はそうした「負」の感情にさいなまれながらも、考え方を変え、夢に近づき、未来を切り開いてきた人物がいる。紙芝居師のかみはるさんこと、神前はるかさんだ。変形性股関節症の痛みに耐えつつ、杖をつくことすら固辞していた神前さんはいかにして障がいを受け入れ、自らの道を力強く歩み始めたのだろう。

紙芝居師とは日本の文化や昔話など、あるテーマに基づいて
紙芝居を見せながら語って進めるパフォーマンスを行うプロの演じ手のこと。
     

紙芝居のパフォーマンスに圧倒された


神前はるかさんは2012年から紙芝居師として活動を始め、渋谷区主催のパラリンピックPR紙芝居事業の公認紙芝居師としても大活躍している。耳に心地よい声、メリハリのある抑揚、ころころと変わる豊かな表情。神前さんにとって紙芝居師はまるで天職のように思える。

だが、以前はそうではなかった。ネガティブ思考に陥り、周りはみな敵だとみなし、人の目を見て話すこともできない。「本当にトゲトゲした人間だった」という神前さんは、どうしてそこから抜け出すことができたのだろうか。

神前さんが先天性股関節脱臼であることが判明したのは9歳。学校の先生からの指摘がきっかけだった。

「もともと歩き方がちょっと変だったんですね。でも、リレーの選手もしていたし、人にいろいろ言われることがあっても、私も家族もあまり気にしていませんでした。ただ、学校で過去に私と同じような歩き方をする児童を受け持ち、障がいが判明した経験がある先生に指摘されたので、病院に行ってみたら緊急入院し、すぐに手術を受けることになったんです」

左右の足のズレを調整するため中学生の時に2度目の手術を受け、足を引きずらずに歩けるようになった神前さんは高校を卒業後、家電量販店に就職した。憧れの職業である声優になるためには社会経験を積んでおいた方が有利かもしれないという判断からだ。職場では足の痛みを隠しつつ2年間働いた後、神前さんは声優になるため専門学校に入学した。

小学生の頃の神前さん。最初の手術前までは、リレーの選手になるなど
活発に体を動かすことが好きだったと話す。
     

しかし、事態は暗転する。夢に向かって歩き始めたまさにその時、変形性股関節症を併発。入学の翌月からは杖での生活を余儀なくされた。

「落ち込みましたね。常に杖をつくようになったので、学校では体を動かす基礎的な授業をほとんど受けられなくなりました。ダンスや日本舞踊など、体を動かす授業はただ見学しているしかない。だんだん『もういいや』と夢を諦める方向に考えるようになっていきました」

絶望と諦めの1年目が過ぎ、専門学校2年目に突入した神前さんに運命の時がやってきた。選択授業の一つとして選んだ紙芝居の授業だ。3人の講師が演じた紙芝居に神前さんは大きな衝撃を受けた。

「講師の一人だったヤムちゃんが、生徒とコミュニケーションを取りながら繰り広げるパフォーマンスに圧倒されました。『なに、これ!』『すごい』と感動しました。そして、『面白そう。やってみたい!』と思いました。夢に向かってがんばる自分が少し頭を出してきたというか(笑)」

3人の講師の一人が、神前さんの紙芝居の師匠であるヤムちゃんだ。専門学校で、感情を解放する授業でも講師を務めたヤムちゃんから、授業を片隅で見学していた神前さんに「上半身だけでもいいから、自分ができることをやってごらん」と声を掛けられて、チャレンジしてみた神前さんは「できるところでがんばってみよう」と考え始める。

インタビュー中はとても明るく、笑いも交えながら自身のことを語ってくれた。
場所は、神前さんが所属する漫画家学会の稽古場。
     

「杖をつくようになってから、正直、つらい思いをたくさんしました。わざと杖にぶつかってこられたことが何度もあるし、3本足だとからかわれたこともありました。だから心に壁があったんですが、ヤムちゃんに声も掛けてもらって壁が少し低くなった。心のリハビリをした感じです」

紙芝居をやりたいのか、やりたくないのか


もっとも、ここから紙芝居師への道はすぐに開けたわけではない。専門学校を卒業後、神前さんはほかの卒業生と同じように声優養成所の試験を何度も受けたが、一向に朗報は訪れない。以前勤めていた家電量販店でアルバイトをしながらフリーター生活を送る毎日は、出口が見えず、気分はつい沈みがちだ。そんな神前さんのもとに専門学校でお世話になった先生から連絡が入った。

「ヤムちゃんが紙芝居師の塾をスタートするらしいよ。やってみたら?」

その先生の言葉に神前さんは一も二もなく「行きます」と返事をして、2012年7月に「渋谷画劇団」に入団。新人紙芝居師としての研修が始まった。

だが3年ほどは、観客とのコミュニケーションを重視した紙芝居にかなり苦戦したという。

披露する紙芝居には、自身でイラストを描くものもあれば、漫画家さんにお願いするものも。
子どもや大人、観客に合わせて使い分ける。
     

「障がい者だとお客さんにバレるのが嫌で、ずっと杖なしでやっていました。ただ、無理をしたこともあって痛みがひどくなってしまったんです。医師から痛み止めをもらって演じていましたが、ついに無理がたたったようで、ある時ひどい激痛に襲われました」

レントゲンを撮ると症状は明らかに悪化していた。もうやめるしかないのか、と真剣に悩む神前さんにヤムちゃんはこう尋ねた。

「紙芝居を続けたいの?やめたいの?」

そう聞かれた神前さんは、「病気が悪化して(紙芝居を)続けられそうもありません。それに、障がい者だとバレたくないんです。ただ、続けられるなら続けたい」と、泣きながら答えた。

「杖をついて舞台に立ってみたら世界が変わるかもしれないよ。一度チャレンジしてみたら?」

涙する神前さんに対するヤムちゃんの提案は前向きだ。

紙芝居をしたい。杖をついたまま演じることに後ろめたさはあったが、葛藤の末、神前さんはチャレンジする道を選んだ。

今では、紙芝居口演に欠かせない杖。杖をつくことへの葛藤が長らくあったが、
紙芝居と師匠のヤムちゃんとの出会いによって、前向きに捉えられるようになった。
     

ヤムちゃんが神前さんのために選んだ舞台が、覆面レスラーが活躍するヒーローショー形式の紙芝居「ミナクルマスク」だ。登場するアナウンサーを「けがをして杖をついている」設定に変え、ここに神前さんを起用した。

「杖をついてお客さんの前に立つことにはすごく抵抗がありました。でも、終わった後に、『よかったよー』と、観客の皆さんが言ってくれたんです。思わず舞台の上で泣き出してしまい、ヤムちゃんに『(泣くのは)舞台袖に引っ込んでからね』と注意されました(笑)。そこからですね、変わったのは。杖をついていても大丈夫なんだと思えるようになりました」

ヤムちゃんが演じる覆面レスラー、ミナクルマスク。
     

杖をついている自分を、そのまま紙芝居師として受け入れてくれる人が大勢いる。自分だからこそできることがたくさんある。それに気づき、障がい者紙芝居師として実績を重ねていった神前さんに2015年末、願ってもいないチャンスが訪れた。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を盛り上げる活動だ。

紙芝居口演を行う際の衣装で撮影。これが神前さんの仕事着だ。着物は簡単に着用できるよう
アレンジされており、華やかな柄や色味もお客さんがワクワクするようなものを選んでいるという。
口演では常にイメージカラーである赤色の大きく華やかな髪飾りもつける。
     

後悔がないように、挑戦をし続けながら、生きる


渋谷区からの依頼はこうだ。区内の子どもたちに向けて、2020年に開催されるパラリンピックの普及活動を行うこと。対象は車いすバスケットボール、パラバドミントン、パラ卓球、車いすラクビーの4競技。

「最初にお話をいただいた時に、シドニーでのパラリンピックで車いすバスケットボール日本代表キャプテンを務めた根木慎志さんにお会いしたんですが、誘われて車いすバスケットボールを体験してみました。大変でしたけど楽しかったですね。その時、障がい者と健常者を差別していたのはほかでもない、自分だったことに気づきました。自分で自分を差別していたんです」

杖をついていてもスポーツができる。障がいがあってもスポーツを楽しめる。心からそう思えるようになった神前さんは、師匠であるヤムちゃんと一緒にパラリンピック普及活動をスタートさせた。

多くのパラアスリートの意見も取り入れながら、試行錯誤し制作したパラスポーツを伝えるための紙芝居。
     

どうやったら子どもたちにパラリンピックを理解してもらえるのだろう。集中力を切らさず興味を持って見てもらえるためには何が必要なのか。ストーリーを練り、イラストを考え、その場の空気や子どもたちとの距離感を考慮しながらアドリブを入れ、2人は幼稚園や保育園、小学校を回って普及活動を繰り広げていく。

障がい、といった言葉を紙芝居で使わないでほしいという一部の先生からの要望もあったそうだ。しかし、障がいのことを知るには避けて通るべきではないと考え、渋谷区の担当者とも相談しながら「明るく、楽しく、パラスポーツを伝える」という芯をぶらさずに、自分たちの紙芝居を演じ続けた。

「この紙芝居は、障がいについてダイレクトに伝えているので、最初は子どもたちから『こわい』『気持ち悪い』と言われることもありました。でも、それは全然構わない。正直な気持ちだからです。でも紙芝居を続けていくと、確実に子どもたちの反応は変わっていくんですよ」

コロナ禍での紙芝居口演やイベントの延期・中止、パラリンピック普及活動の停止で
何度も悔しさを味わったという神前さん。少しずつ口演やイベントの出演が
戻ってきているそうで、今後の抱負を話す姿にも力強さを感じた。
     

2020年3月までに演じたパラリンピック普及目的の紙芝居口演数は300件以上。加えて、東京都教育委員会のオリンピック・パラリンピック教育支援プログラムに認定された「なるほど!パラスポーツ!!」の紙芝居も、都内全域で行なった。コロナ禍で東京2020大会の開催が1年延期され、多くのイベントが中止に追い込まれたことで悔しさや残念な気持ちは残ったものの、神前さんが多くの収穫を得たことは確かだ。

「パラスポーツに関する紙芝居をすると、子どもたちの知識が増えていることにびっくりしますよ。義足や義手についても正しく知っているし、『白杖』もちゃんと『はくじょう』と読める。ああ、変わってきたんだな、理解が進んでいるんだ、やってきたよかったと実感します。私は渋谷区在住なのですが、街を歩くと声を掛けられることも多くなりましたね。住み始める前は人も坂も多くて、暮らすのは大変だと思っていましたが、フレンドリーに接してくれます。キャッチコピーの『ちがいを ちからに 変える街。渋谷区』はダテじゃないなと思いますね(笑)」

紙芝居師の仕事を続けながらも神前さんの夢は多方面に広がっている。障がいを個性に変えて、杖などの道具を使用した着ぐるみショーのプロデュース、舞台への出演、障がいの有無にかかわらず、さまざまな夢をかなえるお手伝いをする「かみはるスクール」の開講など。YouTubeで行なっているゲーム実況もさらに力を入れていきたいという。

自分で自分にかけていた縛りから解放された神前さんの顔に、ネガティブ時代のトゲはもうない。明るい笑顔で話しながら、人の目を真っすぐに見つめるその顔にのぞくのは自信、そして肯定だ。天職を見つけた神前さんはこれからもモットーの「後悔がないように生きる」そのままに道を切り開いていくに違いない。


<プロフィール>
かみまえ・はるか/1989年、千葉県出身。紙芝居師。生まれつき股関節の障がいである「先天性股関節脱臼」があり、後に「変形性股関節症」を併発。子どもの頃から芸能の世界に興味があり、アニメやゲームが大好きなこともあり、声優になるべく専門学校に入学する。そこで「紙芝居」の授業と出会い、その魅力にひかれる。専門学校を卒業後、紙芝居師・ヤムちゃんが主宰する紙芝居塾を経て、紙芝居師として活動を始める。さまざまな場所で紙芝居口演を行い、2016年からは渋谷区公認のオリンピック・パラリンピック推進事業に参画し、区内の幼稚園・小学校などで紙芝居を通してパラスポーツを普及。ほかにも、声優、MC、講演会、演技講師、ゲーム実況などマルチに活動を続ける。


(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS, LLC / 文=三田村蕗子 / 写真=松本昇大 / 素材提供=神前はるか)

※インタビュー時は、マスクを着用、換気、身体的距離の確保を徹底し、感染対策を行いました。撮影時のみ、マスクを外して撮影しました。