FILE.15 ライラ・カセムさん デザイナー、アートディレクター、大学研究員
「一人国連」の彼女が目指す、全ての人が好きな道へ進める世界。

“ちがいを ちからに 変える街。渋谷区”
その渋谷区の中で、障がいがありながらも、
仕事や家庭生活などのさまざまなステージで、日々真剣に生きている人たちがいる。
「MY LIFE, MY SHIBUYA」は、そんな人々の日常を描き出すノンフィクション。
今回ご登場いただくのは、デザイナーでアートディレクターでもあり、
現在は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属「共生のための国際哲学研究センター」で、
特任研究員も務めるライラ・カセムさん。
また、学校になじめない子どもたちのアート活動を支援する「異才発掘プロジェクト ROCKET」や、
社会での“違い”を超えた出会いで表現を生み出すアートプロジェクト「TURN」、障がいのある人たちが描いた
文字や絵をフォントやパターンとしてデザインしライセンス事業として展開している「シブヤフォント」をはじめ、
障がいなど社会的困難がある人たちとアートをつなげるプロジェクトに数多く携わってきている。
自身を「一人国連」と呼ぶライラさんは、障がい、国籍、育った環境など、
さまざまなアイデンティティーを持ちながら生活してきた。幼少期の体験から、現在の職に就くまでの道のり、
人生を賭けて取り組みたいことへの気付きとその思いを聞いた。

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一般的に、日常生活の中で障がいがある人とない人の接点は少ない。ものづくりの現場で障がいがある人とともに活動したり、何かをつくり出したりしたという経験を持つ人もおそらくかなりの少数派だ。でも、もしもっと日常的に障がいがある人たちとない人たちが接する機会が増えたら。一緒に行動できるチャンスがたくさんあったら。アートやデザインを通して、そんな思考を実践し続けているプラグマティスト(実用主義者)がライラ・カセムさんだ。

2022年に新しく渋谷区文化総合センター大和田内にできた、
一般社団法人シブヤフォントのオフィスで多くのプロジェクトに関わるライラさん。
フロアには、拡大したシブヤフォントの展示やシブヤフォントをあしらった商品、
さまざまな企業とコラボレーションした品々が並ぶ。
     

人は一緒に何かをすることでしか分かり合えない


ライラさんは先天性の脳性まひで歩行困難があり、外出時には車いすを利用している。デザイナーとして、アートディレクターとして、大学研究員として、障がいや困難がある人たちが持つ創造性とアートやデザインをつなぐ活動を縦横無尽に繰り広げているライラさんは、日々、さまざまな困難に直面している。

「困難があまりに多くて一口では言えないほど。私は名前にイライラの『ライラ』が入っているせいか、しょっちゅうイライラしています(笑)。仕事でタクシーに乗っても『お仕事ですか?』と聞かれることはないですね。仕事服を着ていても、『お出掛けですか?』と聞かれます。友人と一緒にいると、店員さんは私ではなく必ず友人に声を掛ける。近所にできたスーパーはエレベーターが裏口にしかなくて、しかもスタッフ同伴でないと利用できないんです。そこでスタッフが、生ゴミを持って一緒に乗り込んできたことが……。障がいのある人へのサービスは、さまざまな現場で後付けだなと感じます」

障がい者との接点が少ないゆえに、いまだ多くの人は障がい者の前を遮るハードルに思いが至っていないのが現状である。障がいがないとされる人が見ている世界と、障がいのある人が見ている世界には大きなギャップがある。

「今の日本の教育システムでは、障がいのある人とない人が接する機会はほとんどないですよね。でも、人は一緒に何かをすることでしか分かり合えません。だから、私はデザインを通してギャップを埋める仕組みをつくりたいと思っています」

現在、週の2日をシブヤフォントのオフィス、2日を東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属
「共生のための国際哲学研究センター」で過ごすという。
     

忘れられない2人の恩師


スリランカ人の父とイギリス人の母。留学生として日本を訪れた両親の間に生まれたのがライラさんだ。

「母が、英字新聞でアート関係の記者をしていたので取材にはよく同行していましたが、正直、『また美術館か』と思っていました。ただ、親の仕事に付いていくと待ち時間が多いので、その間によく絵を描いていました。8歳からつくり続けている、両親への誕生日カードは毎年好評です」

脳性まひが悪化し、イギリスの医師から手術を勧められたライラさんは13歳の時、イギリスに渡り、15歳で手術を受け、現地の中学校を卒業。そのまま高校に進学した。

「イギリスの中学校(4年間のSecondary School)では最後の2年間、基礎科目とともに選択科目をいくつか選びます。私は立体デザインに興味があったので木工を選んだのですが、手術後で舗装器具なしでは歩けない時期だったため、安全上のリスクから受講は許されなかったんです。それが悔しくて悔しくて、高校ではプロダクトデザインとアートを専攻しました」

高校時代の恩師、デイビッド・トーマス先生と。彼と出会っていなかったら、アートやデザインの世界にはたどり着けていなかった。
     

ライラさんには2人の恩師がいる。一人は高校で出会ったデイビッド・トーマス先生だ。「作品やアーティストなど気になることがあったらすぐに調べなさい。そうすれば、その時代背景や当時抱いていた思いも分かるから」。トーマス先生からそう教わったライラさんは、人生で初めて勉強を面白いと感じた。

「イギリスの高校はプチ大学のような感じで、ゼミ以外の時間は自由だったのでずっと美術のアトリエで過ごしていました。ただ、あれほど立体デザインをやりたいと思っていたのに、始めてみると自分には向いていないことが分かった(笑)。もともと文字も好きだったので、大学ではビジュアルコミュニケーション学科でグラフィックデザインを学ぶために、エディンバラの芸術大学に進学しました」

「ビジュアルコミュニケーション」とは、日本で言う視覚伝達デザインのこと。人種もリテラシーもバックグラウンドもさまざまな人々に対し、イラストや写真、文字、グラフィックなどを通して意図を伝え、コミュニケーションを図ることが重要視されている国・イギリスだからこそのネーミングだ。

1年に14人しか入学できない狭き門を突破したライラさんは、ここでもう一人の恩師と出会う。ガーナ系スコットランド人のメアリー・アデウ先生だ。

「幼少期にポリオ(急性灰白髄炎)を患い、現在も歩行障がいのあるメアリー先生は、いつも私のことを気にかけてくれました。街で、障がいや人種に関して不用意な発言や行為といった困難に遭遇した時のリアクションも教えてもらいましたね」

エディンバラ芸術大学の印刷工房。活版もあり、常に手を動かしながら、デザインのアイデアを考えていたというライラさん。
     

エディンバラにある丘「アーサーズシート」。上まで登ると街を一望できて、いつも考えごとをするたびに行っていた思い出の場所だ。
     

自分には好きな道に進む権利がない

学生時代にアートやデザインのことを学んだライラさんだが、大学卒業後に安定した仕事を得ることはできなかった。インターンシップや就職の応募をしてはことごとく落とされる。車いすを利用していることを伝えずに申し込み、歩いて面接に出向いても結局採用には至らない。2年ほど職に就くことができなかったが、なんとか通過した数少ないインターンシップからの収穫もあった。

外から客観的にデザインを見られるようになったのだ。人を動かす視覚言語とはどのようなものなのか。広告やマーケティングを目的としないデザインを使って、コミュニケーションに役立つ視覚言語をつくれるのではないか。障がいがある人など、もっと多様な人々が象徴され関わることのできるデザインプロジェクトもあり得るはずだ。

方向性を模索していたライラさんにある日、こんなオファーが寄せられた。

「イギリスのデザイン研究機関『ヘレン・ハムリン・センター・フォー・デザイン』で、インクルーシブデザインの研究をしていた母から『ライラ、ボスニア(・ヘルツェゴビナ)に行くよ!』と誘われました。首都のサラエボで、聴覚障がい者が働く作業所と協働するデザインワークショップが開かれるというんです。もちろん、付いていきました」

サラエボで行われた聴覚障がい者とのデザインワークショップの様子。
     

聴覚障がいのある職人がいる印刷工房を舞台に、職人たちのスキルを使って新しいデザインを生み出していくワークショップは成功裏に終わる。経営的に厳しかったその工房はその後、再生した。メンバーのアイデアを引き出し、形にしていった経験はライラさんの原体験だ。

忘れられない場面もある。

「参加していた聴覚障がいがある職人に、私が芸術大学出身であることを話したら、『私も行きたかった。でも、私にはその権利がないと思った』と言うんですね。ズシンと来ました」

自分には好きな道に進む権利がない。障がい者にそう思わせるのは、社会の風習と環境だと思った。環境次第で障がいに対する考え方や捉え方が変わる。だったらそれを変えていく行動を起こせばいい。そう考え始めたライラさんはボスニア・ヘルツェゴビナに次いで、クロアチアで開催されたワークショップにも参加。そして進むべき道を決めた。大学院への進学だ。

「私はデザイン事務所で働くことはできません。自分の障がいは体力の消耗が激しいので、8時間睡眠が必須なんですね。デザイン事務所は忙しいので、体力や健康をコントロールしながら、できることをプラグマティックに考えました。その答えが研究職でした」

ノートパソコンではさまざまなデザインワークショップや、
アート活動での制作データをよりよくするために微調整を加えていく。
手書きの手帳には、会議中に思いついたアイデアや、福祉施設の人たちと
話したことなどがびっしりと書かれている。ここから、新しいデザインが生まれることも。
     

石を投げ、波紋を広げていこう


現実的な道を探ったライラさんは大学院で修士号を取得し、さらに博士課程にも進んだ。2016年に博士号を取得。博士論文のテーマは、「障がい福祉施設の造形活動をサポートし創造性を開花させるメソッドとデザインへの応用方法」だ。福祉施設で実施されているアート活動を見ていくと、施設によってウェルビーイング(日々の幸福・心の豊かさ)に違いがある。アート活動が豊富な施設ではメンバーの創造性を引き出しやすく、自尊心やモチベーションなど創作のみならず、彼ら/彼女らのウェルビーイングにつながっていく。これは新しい福祉支援と事業のヒントになる、というのがライラさんの提言だ。

2016年には、東京大学先端科学技術研究センター特任助教に就任した。ここからのライラさんの活動には、目を見張るものがある。学校になじめない子どもの教育プログラム「異才発掘プロジェクト ROCKET」で、子どものアート活動への支援や、障がいがある人のアートやデザインを通して社会に発信する組織「エイブル・アート・ジャパン」と手を組んで、東北や中国地方を中心に障がい者とデザイナーをつなげるデザインワークショップを複数開催。施設の職員向けの研修も各地で行なった。

2019年度から2021年度まで、障がいの有無や、世代、性、国籍、住環境などの背景や習慣の違いを超えた多様な人々の出会いによる相互作用を、表現として生み出すアートプロジェクト「TURN」にも関わった。2022年度からは東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属「共生のための国際哲学研究センター」に在籍し、特任研究員として哲学的な対話をベースとしたワークショップの企画運営に携わっている。

一般社団法人シブヤフォントのオフィスでは、これまでに制作された多くのフォントや柄が大きく展示されている。
     

2016年から渋谷区の事業としてスタートした「シブヤフォント」も現在進行形で続いている。これは、渋谷区内の福祉施設で働くさまざまな障がいや困難がある人たちが描く絵や文字を、同区内の専門学校生とともにフォントやパターン柄としてつくり上げる、渋谷区公認のパブリックデータである。ライラさんはその中で、障がいがある人たちとデザインを学ぶ学生たちをつなぐ役として、数多くあるシブヤフォントの制作に携わっている。

デザインされたフォントや柄はライセンス契約を通して販売され、ダウンロードをしたり、製品のデザインに使用したりすることができるようになっている。2021年度からは一般社団法人となり、現在も活動の幅を広げている。

シブヤフォントの商品として販売されているタオルハンカチ。色鮮やかなパターン柄が展開されている。
     

「日本の福祉施設はすごいんですよ。ケアの質を維持しつつ事業を行なっていますからね。全国に数多くあるこの福祉施設を可視化し、日常の風景にするのが目標です。私がやっていることは、言ってみれば石を投げて波紋を広げていくことでしょうか。シブヤフォントのプロジェクトはその石の一つ。海外にも発信したいし、未来の人材育成にも携わりたい。福祉に興味のあるデザイナーを育てて、増やしていきたいですね」

軽快で強靭、かつプラグマティックなスタンスで人と人、人と地域をつなぐ活動を繰り広げているライラさん。彼女を中心とした同心円が大きく広がる未来は、きっと誰にとっても息がしやすく、誇りが持てる世界に違いない。



<プロフィール>
ライラ・カセム/1985年、東京都出身。デザイナー、アートディレクター。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属「共生のための国際哲学研究センター」で特任研究員や、専門学校 桑沢デザイン研究所の非常勤教員も務める。スリランカ人の父とイギリス人の母を持ち、先天性の脳性まひにより歩行が困難という障がいがある。13歳で渡英し、中学・高校と卒業した後に、スコットランドにあるエディンバラ芸術大学でビジュアルコミュニケーションを専攻。2016年、東京藝術大学大学院デザイン科の博士課程を修了。「異才発掘プロジェクト ROCKET」や「TURN」や「シブヤフォント」など、障がいや困難がある人たちとアートやデザインをつなげるプロジェクトに携わる。女性であり外国人であり障がいがある、さまざまなアイデンティティーを持つ自身のことを「一人国連」と呼ぶ。


(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS, LLC / 文=三田村蕗子 / 写真=TATSUYA YOKOTA / 素材提供=ライラ・カセム)

※インタビュー時は、マスクを着用、換気、身体的距離の確保を徹底し、感染対策を行いました。撮影時のみ、マスクを外して撮影しました。