FILE.14 小林育未さん Googleマーケティングチーム
聴覚障がい者ならではの視点を生かす。努力で武器を手にし、ハードルを越え続けてきたからこそ見える、これからの社会。

“ちがいを ちからに 変える街。渋谷区”
その渋谷区の中で、障がいがありながらも、
仕事や家庭生活などのさまざまなステージで、日々真剣に生きている人たちがいる。
「MY LIFE, MY SHIBUYA」は、そんな人々の日常を描き出すノンフィクション。
今回ご登場いただくのは、2019年から渋谷ストリームにオフィスを構える
Google日本法人に勤務する小林育未さん。現在は、Googleが開発するスマートフォン
「Google Pixel」のマーケティングに携わっている。
小学生のときに突発性難聴を発症し聴覚障がい者となった小林さんは、
子どもながらに「障がいを抱えながら生きていくためには武器が必要だ」と感じ、
当時最も興味を持っていた英語の勉強に本格的に取り組み始めた。
高校在学中にはアメリカ留学を経験し、その後アメリカの大学に進学。
帰国し日本の大学院を卒業後、新卒でGoogle日本法人に入社。
小林さんは、難聴の中でも一番程度の重い「重度難聴」と付き合いながら、
これらのチャレンジを経験してきた。夢に向かって歩んできた道のりと
Googleでの仕事のやりがいについて語ってもらった。

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困難があっても諦めない。努力すれば必ず夢はかなう。言葉で言うのは簡単だが、実現は難しい。

この「言うは易く行うは難し」を体現しているのが、Google Japanのマーケティングチームに所属する小林育未さんだ。聴覚障がいを持ちながら、困難を糧に自らの飛躍につなげてきた小林さんの足跡を追った。

現在は完全リモートワークのため、自宅で業務をすることが多いが、
月に1回ほど渋谷にあるオフィスに出社している。
海外にいるマーケティングチームとのテレビ会議も頻繁に行われているという。
     


「英語を話せる人」になろう


私には武器が必要だーー。小林育未さんはわずか9歳でそう確信し、その後努力をいとわず念願の武器を手にした。英語力を身に付けるために挑戦を続け、「就職したい企業」ランキングでは常に上位にランクインするGoogleへの就職をもぎとった。そして今、障がい者としての視点を仕事に生かし、充実した日々を送っている。

幼い小林さんをチャレンジャーに変えたのは突発性難聴という病気だった。一般にこの病気は片耳だけに起こることが多いが、小林さんは違った。両耳ともに症状が現れ、聴力は大幅に低下。高校生のときにも2度発症し、今、小林さんの聴力レベルは100デシベルほどしか聴こえない状態だという。補聴器を使用せずに聞こえる聴力は、頭上を飛ぶ飛行機の音がおぼろげに聞こえる程度だ。

「9歳で突発性難聴になったときには本当にショックで、すごく落ち込みました。その後、聴力は段階的に落ちていきました。でも、これから生きていくためには何か武器を身に付けなければならないとも思ったんです。そのとき浮かんだのが、当時、興味があった英語でした。よし、私は『英語を話せる人』になって、この社会の中で闘っていこうと考えました」

活発な子どもだったという小林さん。
周囲の声から英語の勉強により力を入れたように、負けず嫌いでもあったそう。
     


英語を話せるようになるためには、英語圏への留学は有効な手段の一つだ。そう考えた小林さんは海外留学ができる高校に進学し、英語の勉強に力を入れたが、周囲の目は厳しかった。クラスの中で障がいを持つ人は小林さんただ一人。「アメリカに行くなんて無理」「ただの夢」「そんなこと、できないんじゃない」。周囲からはそうみなされ、教師のサポートも期待できない環境だった。

悔しい。悲しい。でも、負けたくない。難聴であっても、やればできることを証明したい。奮い立った小林さんは夢をかなえ、高校1年生のとき晴れてアメリカに留学した。15歳の決断を後押ししたのが小林さんのご家族だ。

「障がいがあるからといって心が弱くなってはいけない。なんでもチャレンジしなさいと育てられました。あとから聞いた話では、私が留学すると決めたとき、両親は『生きて帰ってこられないかも』と、内心とても心配していたようですが、よく送り出してくれたなと感謝しています」

日米の障がい者支援体制の違いを実感


しかし、意気揚々とアメリカへ飛び立った小林さんを待っていたのは、自分の英語が伝わらないという現実だった。

「1日目から苦労しました。飛行機の中でCAさんに『のどが乾いた』と伝えようとしても伝わらない。自分の英語力のなさを痛感しました」

留学では、英語の勉強に苦労したが、多くの友人と交流することができた。
     


外国語でのやりとりは、通常の聴力があってもネイティブでなければハードルが高い。ましてや小林さんは難聴のため、相手の言っていることを正確に聞き取ることは困難だ。英語ならではの発音、リズム感、言い回し。習得するには1年の留学期間では短く、まだまだ勉強の余地があると痛感した。

諦めきれない小林さんは新たな目標を定めた。アメリカの大学への進学だ。今回できなかったのなら、できるようになるまで努力するしかない。小林さんは高校卒業後、アメリカへ渡った。

高校卒業後も、アメリカ・テキサス州にある4年制大学に進学した小林さん。
     


大学で猛勉強する過程で小林さんが感じたのは、日本とは異なる「障がい者への対応」だ。アメリカでは語学の壁はあっても、社会が自分を一人の人間、一つの個性として認めてくれる、受け入れてくれる。障がい者をサポートする体制の違いをはっきりと感じた。

アメリカでの大学生活を終え、帰国の途に就いた小林さんが大学院に進学したのは、このときの体験からだ。なぜ、日米でこんなに違うのか。違いを生むのは何なのか。小林さんは留学生活で浮かんだ疑問をそのままにせず、「高等教育機関での障がい者支援体制の日米の違い」をテーマに研究を行なった。自分に起きた出来事をとことんバネにして、前に進む原動力にする。大学院への進学にも小林さんらしさが満開だ。

大学院の課程を修了後、小林さんは社会へと飛び出すための活動を開始した。しかし、ここでも壁が待っていた。

「障がいを持つ人間の就職活動は厳しかったですね。障がい者を受け入れている会社を探しましたが、障がい者雇用の枠で入ると、福利厚生などが一般の枠に比べて十分でなく、仕事の内容も限定されている。ショックでした。努力をして英語も習得したのに、これでは私が経験してきたことが発揮できない、と思いました」

このままでは努力した意味がない。小林さんは、自分が本当に働きたい会社に応募しようと決意した。失うものなど何もないのだ。だったら「ここは」と思う会社を受けてみよう。Googleはその一つだった。

「入れるとはとうてい思っていなかったのですが、ああ、ここは私を一人の人間として見てくれると感じられる採用のプロセスでした。採用が決まったときには本当にうれしかったですね。Googleで働けるんだというワクワクする気持ちと同時に、自分にしか見えない視点を生かしていこうと決意したことをよく覚えています」

面接でどんなことを聞かれ、小林さんがどう答えたのか、詳細は分からない。ただ、一つ確かなことは、小林さんのひたむきな努力、確かな成果、真っすぐな意欲をGoogleがありのままに受け止め、評価したことだ。苦労の末に手にした武器の力を正当に発揮できる舞台が用意されたのだ。

Google Pixelの機能である音声録音とテキスト化を使用して、会話を楽しむ。
     


テクノロジーが障がい者のアクセシビリティを上げる


2018年にGoogleに入社した小林さんは、初めは広告営業のチームに配属された。もっとも当初は、海外オフィスで働いているチームメンバーとのビデオ会議で内容が理解できず、四苦八苦する日々が続いたという。普段は補聴器を装着して音を拾い、相手の顔を見てリップリーディングしているが、ビデオ越しの対話ではそうスムーズには運ばない。

だが、一つのテクノロジーが小林さんに救いの手を差し伸べた。

「2018年の後半に、Google Meet(ビデオ会議ツール)にライブで翻訳し字幕が付く機能が搭載されたんです。これは私にとっては革命的でした。こうしたサービスは年々レベルアップしていて、いまも話しながら私のパソコンに字幕を表示していますし、スマホで動画を見るときにも字幕を表示しています。テクノロジーが障がい者のアクセシビリティを上げているんですね。これは世の中の誰にとっても使いやすいサービスだと思います」

入社時に心に決めた「自分の視点を生かすこと」。小林さんのこの決意は、テクノロジーによってコミュニケーションが円滑になり、がぜん仕事を進めやすくなった経験を機にさらに高まっていく。

現在所属しているマーケティングチームでは、Google PixelのテレビCMや動画も企画している。ここでも小林さんの視点は強く発揮されている。

「今のチームに私が入ることで、目や耳に障がいがある人がこのコンテンツをどう感じて、どのように受け止めるのかという“気付き”を提供できると思うんです。私たちが目指しているのは、このデバイス(Google Pixel)を障がいがある人もない人も包摂するインクルーシブ(※)なスマートフォンとして世に広めていくこと。どんな属性の人にも届くものにしていきたいですね」

※インクルーシブ(inclusive):「包括」という意味を持ち、「排他的な」というエクスクルーシブ(exclusive)の反対の語。性別・国籍・宗教の違い・障がいの有無にかかわらず、互いを認め合い、排除せずに共生しようという考えのこと。

同時通訳でテキスト化されるので、それほど滞りなくコミュニケーションができる。
     


インクルーシブな社会のために声を上げていく


コロナ禍でマスク着用が当たり前となり、口元や表情をつかめなくなった聴覚障がい者がコミュニケーションに苦労していることを受けて、小林さんはクリアマスクの導入を会社側に呼びかけてもいる。

「マスクがあると会話ができなくなるので本当に困っています。でも、クリアマスクが浸透すれば間違いなくコミュニケーションしやすくなる。そう思って、会社にがんばって働きかけたら、最近、オフィスの全フロアの目につく場所にクリアマスクが設置されるようになりました。すぐに使ってもらえなくても、オプションとしてそこに存在することが大事ですから」

社内の聴覚障がい者がコミュニケーションに困らないよう、口元が見える
クリアマスクをオフィスに設置するため尽力し、実現させた。
     


仕事とは直接関係ないかもしれないが、ちょっとした野望もある。日常的に使用している補聴器や人工内耳をもっとおしゃれに変身させることだ。

補聴器や人工内耳の色は一般的に肌色やグレー。そもそも人に見せるモノではなく、できるだけ目立たないのが一番という発想ゆえだが、そこに小林さんは疑問を唱える。

「同じ人間であることは変わらないのに、障がいがあるだけでどうしてもネガティブに捉えられてしまいます。補聴器や人工内耳が地味なのもそのためだと思いますが、眼鏡のようにもっとバリエーションがあってもいい。もっとおしゃれになっていいと思うんです」

ファッションやアートへの関心が高い小林さんがそういうと、おしゃれに変身した補聴器や人工内耳がありありとイメージできる。その光景はまったく違和感がない。あっていいじゃないか、ないのがおかしいぐらいだ。そう思える。決して折れることのない、しなやかな鋼のような挑戦心を身にまとい、闘い続けてきた小林さんだ。インクルーシブな社会の実現の一貫として、いつか本当にその光景を実現するかもしれない。



<プロフィール>
こばやし・いくみ/1992年、茨城県出身。9歳のとき突発性難聴になり、現在は難聴の中でも一番程度の重い「重度難聴」の障がいを持つ。高校在学中にアメリカ留学を経験し、卒業後テキサス州アビリンクリスチャン大学コミュニケーション学部に進学。日本帰国後、早稲田大学大学院国際コミュニケーション研究科に所属。大学院を修了した後、2018年にGoogle入社、現在はGoogleが開発するスマートフォン「Google Pixel」のマーケティングチームに所属し、CMや映像制作などの企画を担当する。

(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS, LLC / 文=三田村蕗子 / 写真=Google提供)