就労支援施設で、日常生活をするためのトレーニングを受けていた西岡さん。その間、いくつかの会社でインターン生としても働いた。その受け入れ先の一つが、渋谷区に本社を置くビズリーチだった。同社は2018年から積極的な障がい者雇用を開始し、そのための専門チームを作って障がい者が働きやすい環境づくりを進めている。
「インターンとして働いて感じたのは、この会社の自由な雰囲気でした。ここなら無理なく、落ち着いて働ける環境が整っているな、と思ってオープン就労(障がいを開示して働く)枠に応募しました」
西岡さんは、ビズリーチサービスのユーザー登録情報の確認作業を中心に、オフィスの清掃や備品の補充などのサポート業務も行っている。それらの作業も過度の負担とならないように、毎日の業務や体調の変化を振り返る時間を設けて、上長や担当者らと相談しながら仕事を進めている。
オフィスサポートセンターに初期から所属していることもあり、
部署内のまとめ役を担うことが多い。
自分だけでなく、周りの社員の体調への配慮も欠かさない。
そんな職場での西岡さんに対する評価は高い。
「仕事に対する向上心が高く、常に真摯に業務に取り組んでいる」
「柔らかい物腰で、周囲の仲間に気を配りながら仕事をしている」
「組織全体のことも意識できているので、チーム内外問わず信頼されている」
このような声があることを西岡さん本人に伝えると、「え、そうなんですか」と少し驚きながらも、これまでの職場と評価が一変したことについては冷静にこう分析した。
「以前の職場では、人前で叱責されることもありました。そういうときは、『自分がやっていたことは全部無駄だったんだ』と悲観的になることもありました。今思えば、ちゃんとできていることもあったと思うんです。でも当時は、一つの叱責で全てを否定されてしまったような気持ちでした。今は、自分ができることとできないこと、得意なことと苦手なことをしっかりと分けて考えられているので、『自分ができることをしっかりやる』という働き方ができているのだと思います」
働き方が安定するようになって、周りを見る余裕も生まれた。オフィスサポートセンターには、西岡さんの他にも、発達障がいやうつなどの病気を抱えるメンバーがいる。自分も仲間も、体調がいつも一定とは限らない中で、周りの人たちの様子もうかがいながら、チームミーティングなどを通して課題を共有しているという。
持続性気分障害(気分変調症)は簡単に治るものではないが、薬だけに頼るのではなく
医師のアドバイスを受けながら、自分にあった行動で良い方向へと進んでいきたいと語る西岡さん。
今も月に2回ほどは持続性気分障害の診療を受けているという西岡さん。気持ちや体調に波がないわけではない。いつかまた、以前と同じようになるかもしれないという不安はないのだろうか。
「今は自分にネガティブなことがあったら、その事実を受け止めるようにしています。例えば、僕が怒ったとします。そうしたら、『怒ってしまった。これはよくない』と考えるのではなく、『なるほど、自分はこういうときに怒るんだな』と考える。つまり、自分の今の感情がいいか、悪いかと評価するのではなく、まずはそのような感情の変化があった事実を認めることにしているのです」
こうした気持ちの“切り替え術”は、趣味のフットサルを通じてたまたま出会ったメンタルトレーナーの著書から学んだという。その理論自体は以前から知っているものもあったが、それをどう使えば分からなかった。自分に置き換えて実践できるようになったのは、今の職場で働き始めてからだ。
「持続性気分障害は薬で改善していく治療法もありますが、僕は行動で改善していきたい。それが今の自分の病気との向き合い方です」
自分の病気のことを他人に話すのは勇気のいることかもしれないが、西岡さんはこうして取材を受けて自分の言葉で発信することも「治療のための行動のうちの一つ」なのだという。
「私のような障がいに悩んでいる人はたくさんいると思います。世の中に発信していくことは難しいかもしれないけれど、限られた人にでも自分の状況や気持ちを言ったほうがいい。それを知ってもらうだけでも全然違います。逆に言われた側の人に伝えたいのは、共感してほしいということです。アドバイスよりも『そうだったんだ』と共感してくれたほうが、本人の気持ちも楽になると僕は思います」
かつては仕事で一度叱られると、仕事もプライベートもすべてマイナスな方向に陥っていた西岡さん。しかし今は仕事とプライベートでポジティブな相乗効果を起こし、趣味を楽しむ時間も増えているという。
「休日は喫茶店に出掛けて、読書にふけることもあります。映画も好きで、月に一度くらいのペースで映画館にも足を運んでいます。プライベートで中心となっているのはフットサルです。中学時代の友人から誘われたのをきっかけに、週に一度のペースで練習しています。たまに大会にも参加しているんですよ」
これまでの仕事では感じにくかった、仕事へのやりがいも感じられるようになってきた。以前は、会社や上司から与えられた仕事を、受け身でこなすのが精一杯だった。しかし今は、仕事の“つながり”を見つけて、一つひとつの仕事の目的を意識しながら取り組めているという。
「例えば、会議室の掃除一つとっても、ただの掃除と思うとしんどいです。でもこの部屋をきれいにすることで、みんなが気持ちよく会議ができれば、いいアイデアも出てくる。加湿器の水を入れ替えることで、みんなが風邪をひきにくくなる。自分の仕事が誰かの仕事や体調管理に“つながっている”ことが見えてくると、自分が主体的になれるので仕事が面白く感じられます」
今は自分たちの仕事をマニュアル化して、ノウハウを共有する作業を進めている。いろいろな背景を持つ人たちがお互いに働きやすいように、仕事のやり方やコミュニケーションのコツなどを可視化していくことが今取り組んでいるテーマだという。
取材スタッフへ飴を持ってきてくれた。
「昨日スーパーで見かけて」と少し照れくさそうにする西岡さんの気配りには
忙しい毎日に忘れがちな優しさが詰まっていた。
「渋谷って、すごい街だと思います。学生時代の通学路だったので20年近くここの景色を眺めていますけど、駅が新しくなったり、新しいビルが建ったり、常に変わり続けている。サグラダ・ファミリアみたいですね(笑)」
渋谷の街を、訪れたことのあるスペインの観光名所に重ねる西岡さん。物理的な変化だけでなく、街の発信力にも驚きを感じているという。
「昨年は、毎年渋谷で開催されている『東京レインボープライド』にも会社のボランティアとして参加しました。『LGBTの祭典』と呼ばれるこのイベントには、いろいろな国籍の人が集まります。みんなが多様な価値観を認め合う姿を見て、世の中って捨てたもんじゃないな、と思いました」
幼少期、アメリカに住んでいたこともある西岡さんは、海外への興味も強い。大学の第二言語で学んだスペイン語を学び直して、いつかまた、海外に足を運んでみたいという。
「日本国内でも、喫茶店で出会ったイタリア人や、旅行先で知り合ったブラジル人と話したことがあります。外国の方と話すと、自分の視野が広がるし、違うものの見方を知ることができるので、また自分から海外に出てみたいですね」
自分の病気と向き合えた今、西岡さんは周りへの感謝の気持ちも芽生えている。僕が今こうしてやりがいを持って働けるようになったのは、悩んでいたときに自分の話に耳を傾け、助けてくれた人たちが周りにいたからこそ。今度は自分が周りの人たちの話を聞き、恩を返していく番だ。
「フットサルチームの仲間のお子さんが今高校生なのですが、僕はその世代の子たちのちょっとしたロールモデルになりたいと思っています。彼らが将来、『仕事が面白くないな』と感じたときに、『“ニッシー”ががんばってるなら自分もがんばってみるか』と思えるきっかけになれればなと。会社での目標は、ビズリーチのオフィスサポートセンターを、障がいのあるなしに関係なく働きやすい職場にすることです。社内外の人たちが、『いい職場だな』と思えるような、社会のロールモデルとなる職場づくりを目指したいですね」
これまでの人生は、少し遠回りすることがあったかもしれない。しかし数々の苦い経験があったからこそ、本当の自分を見つめ直すきっかけを持つことができた。西岡さんの社会人生活はまだ始まったばかりだ。
<プロフィール>
にしおか・いさな/1984年生まれ。東京都出身。4歳の時に1年間アメリカで過ごす。大学卒業後、携帯電話の販売会社、ダイレクトメールの発送代行会社、洋服の副資材を扱う会社などの職に就く。いずれも体調不良のため退職。2017年に「持続性気分障害」と診断を受ける。その後就労支援施設に入り自分にあった仕事を探す中で、株式会社ビズリーチに出会い就職。現在も月に2度診療を受けながら働いている。
(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS, LLC / 文=香川誠 / 写真=松本昇大)