FILE.3 鈴木孝幸さん 株式会社ゴールドウイン 総合企画本部
「パラリンピック金メダリストが思い描く第二の人生、第二の夢」

“ちがいを ちからに 変える街。渋谷区”
その渋谷区の中で、障がいがありながらも、
仕事や家庭生活などの様々なステージで、日々真剣に生きている人たちがいる。
「MY LIFE,MY SHIBUYA」は、そんな人々の日常を描き出すノンフィクション。
今回は、「先天性四肢欠損」のパラリンピアン、
日本の障がい者水泳の絶対的エース、鈴木孝幸さんにご登場いただきました。
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「できないこと」ではなく
「できること」を考える

すごいスイマーがいる。

2004年アテネ大会から2016年リオデジャネイロ大会まで、パラリンピックに出場すること4度。金メダルと銀メダルを1つずつ、銅メダルを3つ獲得した鈴木孝幸さんは、日本が世界に誇るパラリンピアンである。

生まれた時から、「先天性四肢欠損」という障がいをもって生まれた。左手の指は3本。右腕は肘から先がなく、1本の指があるだけ。右脚は大腿部から、左脚は膝から下がない。

それでも、「自分が障がい者である」という意識は中学生になる頃までなかったのだという。

「友だちに恵まれたんだと思います。保育園から健常者と同じ学校に通っていたし、ひとりでポツンと過ごすこともなかった。むしろ、お調子者だったんですよ。自分が目立てることがあれば、それが嬉しくて」

試合中の猛々しさが想像もできないくらいに
やわらかな表情を浮かべる鈴木さん。
何度経験しても「取材は緊張する」のだという


子どもの頃から、どちらかと言えば、ものごとをポジティブに考える方だった。好奇心が旺盛で、なんでも「自分でやってみたい」と思えた。人を笑わせることが好きで、「人前に出たくない」という気持ちもほとんどなかった。

「周囲の人からは“できないこと”のほうが多いと思われる中で、わりと“できること”も多かったんです。だから、褒めてもらえることが多かったし、それが嬉しくて『あれもできる』とみんなに見せたかった。まあ、年齢を重ねるごとに人並みに恥じらいを覚えるようになって、少しずつ場をわきまえるようにはなりましたけどね」

まさに今、目の前にいる30歳の鈴木さんからは“お調子者”だった幼少期の面影が全く感じられない。引き締まった表情で、冷静に言葉を選びながら、クールな声色でゆっくりと話す。その様子はジェントルマンそのものだが、どうやら久々のインタビューで少し緊張していたらしい。インタビューの終盤、鈴木さんは照れくさそうにそう言った。

気がつけば、日本のエースになっていた


現在、鈴木さんはスポーツ用品メーカー『ゴールドウイン』の社員であり、同社が展開するブランド『Speedo』のグローバルアスリートとして競技活動を続けている。

海外遠征先から2カ月ぶりに帰国をし、インタビューの前日と前々日、「第34回日本身体障がい者水泳選手権大会」に出場した鈴木さんは、日本新記録を1つ、大会新記録を1つ打ち立てた。男子150m個人メドレー(SM4クラス)と男子50m自由形(S5クラス)で、鈴木さんに勝てるスイマーは現在の日本にはいない。

鈴木さんに泳ぐことを勧めたのは、通っていた保育園の園長先生でもある里親だった。

鈴木さんの障がいは生まれつき手足が欠損している
「先天性四肢欠損」。30歳代の身体障がい者は
1,000人中6人の割合で存在するというから
多いわけではないが、決して少なくもない


「最初は“犬かき”でしたけど、それなりに泳げたんです。それから泳ぐことを覚えて、障がい者のスイミングスクールに通い始めました。小学生3年生の頃に健常者と同じスイミングスクールに通い始めたんですが、身体を見られることがどうしても気になってしまって。一度、水泳をやめました」

何ごともポジティブに考える性格だ。一度水泳をやめたとはいえ、後に引きずることは一切なかった。イヤなことはスパッと忘れてしまった。

高校生になると再び障がい者のスイミングスクールに通い始め、コーチに“競泳”を勧められて「いつの間にか」没頭するようになった。

「泳げば泳ぐほど速くなっていく喜びもありましたし、少しだけ…、いや、かなりの負けず嫌いなので(笑)。自分はずっと健常者と一緒に泳いでいたから気付かなかったんですが、同じような障がい者の中では速かったんです」

初めて出場した大会での泳ぎが水泳連盟関係者の目にとまり、次から次へと大きな大会に出場した。何が起きているのかよく分からないままユース年代の日本代表に選出され、気が付けば、手元には金メダルがあった。「次も頑張って」と言われて素直に「頑張ります」と答え、猛練習して出場した「次」の大会は2004年アテネ・パラリンピックの予選会だった。

「アテネ・パラリンピックの代表になるまで、自分の状況を冷静に考える暇もありませんでした。自分の人生をちゃんと考えるようになったのは、アテネが終わってからのことでした」

結果的に、鈴木さんは高校3年生で初めて出場したパラリンピックで4種目に出場する。その後、早稲田大学に入学し、練習に練習を重ね、4年後の北京パラリンピックでは5種目に出場。50m平泳ぎで金メダル、150m個人メドレーで銅メダルを獲得し、平泳ぎの予選では48秒49の世界記録を打ち立てた。

何の気なしに始めた水泳だった。しかし、信じられないほどのスピードで、鈴木さんは日本のエースになった。

水泳だけが僕のすべてじゃない


早稲田大学を卒業後の2009年、鈴木さんはゴールドウインに入社した。障がい者として“働く”ことに対して、「健常者と同じように働くことができるだろうか」という不安を抱くことはなかったのか。

「僕の場合は手足に障がいがあっても、知的には障がいがありません。だから、時間はかかるかもしれないけど、クオリティーにはそこまでの差がないはずなんです。でも、実際は手足が不自由だというだけで、クオリティーも下がるというイメージを持たれることがある。その点に関しては、不安に思うところもありました」

しかしその不安は、取り越し苦労に終わった。ゴールドウインには鈴木さんの他にも障がいを持った人が働いており、限られた勤務時間で“できること”に励める環境が整っていた。

社会人とアスリートの両立。そこには、競技者としての意欲を一層かきたてる大きな変化もあった。

取材時に持参してくれた直近の大会のメダル。
日本記録を連発する鈴木さんだから“勲章”は増える一方だ


「会社に全面的に応援してもらうようになって、単純に、応援してくださる人の数が10倍にも20倍にも膨れ上がりました。試合会場で自分の名前が呼ばれると、ワーッと盛り上がってくれるんですよ。やっぱり、テンションが上がりますよね。自分のため、自分に近い人のためだけでなく、もっと多くの人に喜んでもらうために泳ぎたい。社会人になってから、そういう思いが強くなりました」

相変わらずもの静かに話す鈴木さんだが、逆に本質的な性分の“熱さ”を感じて、あえて「クールですね」と投げかけた。

「いや、競技の時はすぐに感情が顔に出ちゃうみたいで。特に自分にイライラしている時はすぐに分かるらしくて、怖い顔をしてしまうことがあるから気をつけなきゃいけないなと(笑)。周りから見ると、繊細なところもあるみたいです。だからこそ、きちんと目標を立てなきゃ続けられない。ダラダラと趣味のように続けることは、僕にはできなくて」

社内の移動は車いすで。
ゴールドウインには鈴木さん以外にも
障がいを持った社員が複数人いるそうだ


休日の過ごし方はどちらかと言えば「インドア派」で、読書をしたり、音楽を聴いたり、絵を描いたりしているという。そうした息抜きもそうだが、気分に合わせて髪型を変えたり、ヒゲを蓄えたりするライフスタイルにも彼の“繊細さ”がよく表れている気がする。

つまり、彼にとって水泳は「人生のすべて」ではない。真剣さの違いこそあれ、多様な趣味と同様にあくまで自己表現のための手段のひとつである。

「鈴木孝幸という人間を、水泳を通じて知ってもらい、アピールすることができたと思います。でも、それだけじゃないという気持ちもあるし、水泳だけが僕のすべてじゃない。そういう意味で、サッカーの三浦知良さん、野球のイチローさんとは、少しタイプが違うと思うんです」

健常者と障がい者は単なる区分だ


自分が障がい者であるという意識は、今ではほとんど持っていない。

「こういう身体だから必要なサポートもあります。でも、“自分ができることをやる”という意味では、健常者と何ら変わらないと思うんです。健常者と障がい者は、単なる区分。僕はオリンピックではなく、パラリンピックを目指しているだけ。自分にできることを、一生懸命にやるだけですから」

振り返れば、子どもの頃から障がい者だからと言って卑屈になることもなく、健常者に対して反発心を覚えることもなかった。心の中にあった思いは、むしろその逆。鈴木さんの思いは、「どうすればみんなと一緒に楽しめるか」の1点に集約されていた。

「分かりやすいのは、体育の授業ですよね。僕はいつも、どうやったら一緒にできるか、どうやったら自分も活躍できるかを考えていたんです。サッカーをやれば、走るスピードは絶対に負けてしまうからパスをもらいやすい場所にいる。鬼ごっこをやる時は、絶対に見つからない場所を探す。友だちも絶対に容赦しなかったので、何をやるにもいつも本気でした」

だからおそらく、競争心ではなく表現力が養われた。車椅子故の目立つルックスを差し引いても、鈴木さんにはどことなく、人を引きつける魅力と存在感がある。

鈴木さんは「1日は24時間しかないこと」をよく知っている。
人生80年だとしたら、使える時間は70万800時間。
これまでは水泳に費やした人生だったが
引退後に残っている膨大な時間をどのように過ごすのかと
考えるだけでわくわくするのだそうだ


「しっかりとした人生プランは、まだ立てていません。ただ、アスリートとしての時間が多く残されているわけではないので、スポーツやパラリンピック、パラリンピック水泳に関わりながら、もうひと花咲かせたいんです。自分にとっては、水泳だけがすべてじゃない。そう思っているので、僕自身の違う部分で、自分なりに達成感を得られるものを探しています」

鈴木さんは引退後を楽しみにしている。「今まで練習に費やしていた時間を他のことに丸々使えるから」というのが主な理由だ。1週間で15時間、1カ月で60時間もの練習時間を他のことに使えたら、自分にはいったい何ができるのか。そう考えると、引退後の人生が楽しみで仕方ない。

ユーモアがあって、ポジティブで、頭が良くて男らしい。鈴木さんは、そんな人だ。

インタビューを通じて「近い関係になったら、きっとものすごく面白い人なんだろうなと思いました」との感想を伝えた。すると、鈴木さんの隣に座るゴールドウインの広報担当者が「おっしゃるとおりです」と笑った。

<プロフィール>
すずき・たかゆき/1987年1月23日生まれ。30歳。静岡県浜松市北区出身。早稲田大学教育学部卒業。2009年、株式会社ゴールドウイン入社。小学校から水泳を習い始め、高校で本格的に競泳に取り組み、2004年、高校3年生の時には日本代表としてアテネパラリンピックに出場。100m自由形、150m個人メドレーでのメダル獲得はならなかったが、団体で出場した200mメドレーリレーでは銀メダルを獲得。200mフリーリレーでも4位入賞を果たした。

2008年の北京パラリンピックでは150m個人メドレー、50m平泳ぎ、50m自由形、100m自由形、200m自由形に出場し、50m平泳ぎで金メダル、150m個人メドレーで銅メダルを獲得した。平泳ぎの予選では48秒49の世界記録を打ち立てている。 3大会連続の出場、2大会連続で競泳チームの主将を務めた、2012年ロンドンパラリンピックでは、150m個人メドレー、50m平泳ぎで銅メダルを獲得した。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは150m個人メドレー、50m平泳ぎでともに4位入賞を果たした。パラリンピアンとして2020年のオリンピック・パラリンピック招致のアンバサダーも務め、立候補ファイルを提出するなど招致活動に尽力した。現在は、英国ノーザンブリア大学に留学し、日々トレーニングに励んでいる。

(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS,LLC / 文=細江克弥 / 写真=松本昇大)