将来を見据えた野村さんは、そこで岐阜市内の盲学校への進学を決める。24歳のときだ。すでに高校を卒業していた野村さんは、3年間の専攻科理療科コースに通い、あん摩マッサージ指圧師と鍼灸師の資格を取得した。彼女はここでの経験が「一つの転機になった」と話す。
「盲学校のクラブ活動でゴールボール*を始め、素晴らしい先輩プレーヤーに出会ったんです。そのとき『私もあんな風に強くなりたい』と思って。それから競技スポーツの世界に夢中になっていきました」
*ゴールボール:目隠しをした状態で鈴の入ったボールを転がし合い、相手ゴールに入れて得点を競う視覚障がい者向けの球技。
卒業後も競技スポーツを続けるには、練習日を確保するため、土日が休める仕事を見つける必要がある。また、当初から多様な人々がいる職場で働きたいと考えていた野村さんは、ヘルスキーパーに職種を絞って求人を探した。そこで見つけたのが現在の職場だったという。
野村さんはサイバーエージェントのヘルスキーパー第1号。
前例のない仕事は大きなチャレンジであり、同時に、大きなやりがいでもあった。
「東京での就職には不安もありましたが、当時岐阜にはヘルスキーパーの募集が1件もなかったんです。実家を出るのも初めてだったので、母は最後まで反対していましたが、父は応援してくれました。やるだけやってみたら、と。でもいざ東京に出てみたら、慣れない生活の疲れと寂しさで、しばらくは毎週末、実家に帰るような状態でした(笑)」
仕事面でもさまざまなハードルが待っていた。何しろ野村さんは同社初のヘルスキーパー。前例がない中、マッサージルームの立ち上げからオペレーションまで、全て同期の男性社員と2人でこなさなければならない。山積みの課題を前に試行錯誤を繰り返す中、予約の確認ミスなどが原因になって社員からクレームを受けることもあった。考え方の違いから同僚たちとぶつかる場面も少なくなかった。
「先輩もいなければ前例もないことの連続なので、正直、戸惑うことも多かったです。ただ、次第に利用者が増え、施術に対する満足の声がいただけるようになったり、リピーターになってくださる方が増えてくると、すごくやりがいを感じましたね」
今年で入社10年目。現在は業務にも慣れ、仕事を楽しむ余裕も出てきたという野村さん。そんな彼女にとって、今の仕事は「やりがい」以上に大きな意味を持っているという。
「マッサージで誰かの役に立てること。それが大きな自信になっています。誰かの役に立つということは、社会に貢献できているということ。私にとって、家族や友人だけでなく『社会に必要とされている』という実感は、生きる上で欠かせないものなんです」
障がいがあると、周りの人のサポートや助けなしには生きられない。だからこそ、支えられるだけではなく、早く誰かを支えられる立場になりたい——。野村さんは「ずっと『早く社会に出て働きたい』と思っていた」と、上京前の思いを振り返る。
「人の役に立ちたい」。
野村さんには人一倍、その想いが強い。
「だから今は働くこと、働ける環境があるということが、心の支えになっているんです」
そんな彼女は現在、ヘルスキーパーの数をもっと増やしてもらえるよう、会社に働き掛けているところだという。
「現状東京オフィスのヘルスキーパーは4名体制ですが、すでに予約が取りづらい状況です。もしヘルスキーパーの数を増やしてもらえれば、より多くの社員の方々にマッサージが提供できますし、視覚障がい者の雇用の場も増えるでしょう。簡単なことではありませんが、そういう働き掛けを続けることは、同じ障がいがある人たちに対する私なりの貢献の形でもあるんです」
野村さんのチャレンジは、競技生活においても続いている。4年前、長年親しんだゴールボールから円盤投げに転向。毎週末、所沢のトレーニングセンターに通いながら練習を続けている。今の目標は「日本記録の更新」だ。
「目標が大きければ、くじけずに頑張り続けることができるじゃないですか(笑)。競技の世界は、記録が良くないと上には行けないシビアな世界。だから競技を続けていく以上は、夢を大きく持って、記録更新を目指していきたい」
いくつもの夢を諦めた後に、とびきり大きな夢をつかんだ野村さん。「もう諦めない」。夢を語る彼女の言葉に、そんな力強いメッセージを感じた。
<プロフィール>
のむら・まさこ/1979年生まれ、岐阜県出身。2007年よりサイバーエージェント初のヘルスキーパーとして勤務。プライベートでは円盤投げの競技選手として、記録更新を目指している。
(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS, LLC / 文=庄司里紗 / 写真=松本昇大)