FILE.6 田中知美さん 株式会社ローランズ代表補佐
「“全国の障がい者の心に花束を”
お花屋さんで働く指定難病のパワフルウーマン」(後編)

“ちがいを ちからに 変える街。渋谷区”
その渋谷区の中で、障がいがありながらも、
仕事や家庭生活などの様々なステージで、日々真剣に生きている人たちがいる。
「MY LIFE,MY SHIBUYA」は、そんな人々の日常を描き出すノンフィクション。
今回も、前回に引き続き、指定難病のネフローゼ症候群を患いながら、
障がい者の就労支援のために働く田中知美さん(36)にご登場いただきます。
病気になったからこそ見つけられた、
新たな夢と、新たな生きがいについて描いていきます。
前編はこちら ・・・・・

留学先のアメリカ・シアトルでは、まず英会話学校に通い、語学力を磨いた。マイクロソフトやスターバックス コーヒーなどの現地企業を訪問し、障がい者の雇用環境や多様性についてさまざまなリサーチを重ね、現地在住の日本人には意見を聞いて回った。障がい者の社会参加について、街頭インタビューも敢行した。

そんな彼女が感じた日本とアメリカの最も大きな違いは、障がいに対する人々の意識だった。

留学を経験したことで、アメリカと日本の障がい者に対する
意識の違いを痛感したという田中さん。
“障がい者”ではなく“障がいのある人”。
障がい者である前に一人の人間として尊重するアメリカ人の考えに感銘を受けた
     


「留学当初、不慣れな英語でインタビュー用の原稿を用意していたとき、障がい者を“Disabled people”と訳したんですね。そうしたら、周囲の人に『ここではそういう言い方をしない。訳すなら“People with disabilities”だよ』と指摘されて。“障がい者”である前に“一人の人間”であることを大事にする考え方に、大きな衝撃を受けました」

帰国。そして、フラワーショップへの就職

アメリカと日本のさまざまな違いに気づき、発見に満ちた4ヵ月を過ごし、日本に帰国した田中さんは、すぐに職探しを兼ねた“検証”を開始した。自ら仕事の面接を受けることで、日本の障がい者雇用の現状を知ろうとしたのだ。

「アメリカでは、就職や転職の面接時に健康状態を聞くことは無いそうです。なぜなら、法律(ADA法)で雇用時において身体や精神の障害を理由とする差別的な扱いを行うことを禁止しているからです。病気や障がいの有無ではなく、求める業務を遂行できるかどうかで判断します。でも日本だと、求人情報によく『心身ともに健康な方』って書いてありますよね。日本の面接で病気のことを告知すると、不採用になる、というのを聞いたときは信じられなくて。実際、”検証”してみたら、悲しいかな、確かに、と思うことがありました。それが現実なんだな、と」

ローランズのミッションは、「花・緑の仕事を通じて社会課題に挑み続ける」。
世の中をより良くするための触媒として
「植物」や「花」を捉えるところに同社の新しさがある
支援をする職員は日々議論をし、より良い在り方を共有しながら、働いている
     

病気や障がいを持つ人が、もっと仕事をしやすい環境をつくりたい──。そんな思いを強めていたとき、ローランズの存在を知った。フラワーショップを運営しながら、積極的に障がい者を雇用する姿勢に共感した田中さんは、2017年夏、ローランズへの就職を決めて、就労継続支援A型(一般企業での就労が困難な人に働く場を提供する事業所)を兼ねる「ローランズ原宿店」で、病気や障がいを持つスタッフのサポートをしながら働いた。代表補佐として経営に関わりながら、現場でも密にかかわり続け、仕事のスキルだけでなく、心の在り方などをアドバイス。「働く楽しさ」や「働くことで障害が軽くなる」と実感してほしくて、自らも精力的に働いた。

障がい者の“就労の壁”をなくしたい


田中さんには、2016年に立ち上げた「ネフローゼ症候群患者会」の代表という顔もある。2020年にはネフローゼ症候群診療ガイドライン(医師が治療の道標にする本)の改訂があり、医師の中に患者代表として作成に参加している。

「ネフローゼ症候群の治療法は、いまだに確立されていません。それって、当事者である患者からのアプローチが不十分で、なかなか研究が進まないことも理由の一つだと思うんです。私は、患者の力でこの病気を“治せる病気”にしたい。それが患者会を立ち上げた一番の理由です」

「障がいに対する国や企業の考え方や支援のフレームを変えていきたい」
と田中さんは言う。
障がいのある彼女だからこそ、説得力のある言葉だ
     


彼女にはライフワークがもう一つある。難病患者を取り巻く“就労の壁”をなくすことだ。

例えば、働きたい難病患者にとって目に見える課題のひとつは「障害者手帳の有無」だ。手帳のない難病患者は障がい者の法定雇用率に算入されないため、雇用率を上げたい企業側は手帳を持つ障がい者の採用を優先しやすい事情があるのだ。

「病気をきっかけに身体や精神の障がいを併発した場合などを除き、難病患者で障害者手帳をもらえる方は少ないようです。私自身、薬で症状が抑えられており、手帳の申請はしましたが、交付はしてもらえませんでした。服用が欠かせないステロイドの副作用で、常に免疫力の低下やうつ症状に悩まされていても、交付対象にはならないんです」

難病患者は障がい者と同じように就労が困難な状況にある。にもかかわらず、手帳の有無でチャレンジできる仕事に大きな差が生まれている現状に、田中さんは疑問を感じている。また、障害者手帳を持っている人が、職場で単純な作業しかしていない現状も同様だ。

「障がいによって、“出来ない”と思われている仕事は、本当に出来ないのだろうか。本人がチャレンジしていないから? 周りがチャレンジする環境を作ってないから? 両方の側面からアプローチできればと考えています。大きな目標ですが、私は、障がいと仕事に関する国や企業の考え方や支援のフレームを変えていきたいんです。もっと言えば、将来的には、障がい者や健常者という分け方、言葉自体もなくなればいいと思っています。『障がい者だから』『健常者だから』という単純な分け方ではなく、一人ひとりがそれぞれの能力や個性を活かし、自分に合った、もっと言えば、自分にしか出来ない働き方ができる、そういう社会にしていきたいです」

私にはまだ、命がけの夢が残っている



何かに突き動かされるように、数々のチャレンジを重ねてきた田中さん。目が回るほど忙しい日々を過ごしているが、不思議と病気は、決意を新たにした2015年を最後に再発していない。

「経験上、再発はストレスが引き金になることが多いんです。今はやりたいことをやれているので、忙しくてもストレスは少ないんでしょうね(笑)。じつは今、体調を見ながら、少しずつ薬を減らしています。子どもを産みたいので。妊娠がきっかけで再発するリスクもあるけれど、チャレンジしたい」

発病後に出会い、生活を共にするパートナーは、そんな彼女の意思を尊重してくれているそうだ。田中さんによれば、お相手は「ポジティブ思考のかたまり」だという。

病気のために諦めた恋もあったという。
でも今はすべて必要なことだったと思える
     


「彼は、いい意味で私の病気に興味がないんですよ。いや、“病気の私”かな。病気や障がいは私を構成する要素の一つでしかないんです。だから薬などの細かい説明をしてもすぐ忘れるし、特別扱いもしてくれない。ドラマみたいに『一緒に病気を治そう!』なんて甘いことも今は絶対に言いません(笑)。一緒にいる時間は、自分に病気があるということを完全に忘れています。でも、そういう人だからこそ、一人の人間として付き合えるんです。そして、実はいつも一番心配してくれている人です」

今年の春で、発病から丸10年が経った。今でも病気のことを100%受け入れられたわけではないし、毎日葛藤がある。でも今の彼女には、病気や障がいのある人たちが生き生きと働ける社会をつくるという夢がある。病気を完治させるという目標もある。そして、現在はローランズを退職し、新たな夢へ向かって一歩踏み出した。

「病気をする前は、人間は生き物であって、人生はいつか必ず終わるもの、って、わかっているようで全然わかっていなかったんです。発病直後は、病気はハンディキャップでしかないと思っていました。でも、そうやって振り子がネガティブに振り切ったら、戻ってくる振り子は逆ですよ。病気をプラスに捉えたり、武器にしよう、なんて思い始めて。そう思ったら、病気とうまく付き合えるようになってきました。きっと苦しんだ日々は、今日の私があるために必要な時間だったんでしょう。今はそう思えるんです。生きていれば、変化する、ということが本当の意味でわかってきたのだと思います。それが希望になっています」

迷いなくそう言い切る彼女には、“a person with disabilities”ではなく“a person with possibilities” こそがふさわしい。with の後に続く言葉は、その人の生きざまが決めるもの。彼女の力強いまなざしが、そう教えてくれている。

<プロフィール>
たなか・ともみ / 1981年生まれ、千葉県印西市出身。慶應義塾大学を卒業後、大日本印刷株式会社で働いていた2008年、腎臓の難病であるネフローゼ症候群と診断される。2年間の休職を経て復職、事業企画本部で経営戦略に携わる。16年に退職後は、ネフローゼ症候群患者会の立ち上げやアメリカ留学などを経験。その後、株式会社ローランズで難病や障害を抱える仲間の就労支援に携わった。渋谷とは、開校初期にシブヤ大学でボランティアスタッフをしていた頃からの付き合い。

(制作:SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS,LLC / 文=庄司里紗 / 写真=松本昇大)